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by osarudon1

ハバロフスクを訪ねて

ジングルベルが聴こえない ~サンタ予備校卒業試験~



新潟空港をクリスマスイブの午後に飛び立った、
ダリアビア航空の直行便が、ハバロフスク空港に
着陸したのは夜7時の少し前だった。

数時間前にも新潟で寒さに震えながら、
自動販売機で買った甘ったるい缶コーヒーの
温かさに救われていた私だったが、
さすがに氷点下20度という、ロシア極東の街は、
温暖な静岡に生まれ育ったこの身には厳しすぎる。

任務でなければ、こんな所へ来ることもないし、
また、自らの意思で来たいなどと思うこともないだろう。
これが夏であるならば、もちろん話は別だ。
しかし、私の任務は寒い季節にのみ、与えられる。
これを因果な商売だなどと自虐的に認識するほど、
私は青臭い年齢でもなくなっているのだが。

今回の任務は、〝ある荷物〟をクライアントの元へと
届けることだった。
クライアントの名は「アリーナ」。
アリーナがどんな人物なのかということは、
事前にほとんど情報を与えられていなかったし、
個人的に興味を覚えることもない。
これは、ただの任務なのだ。
それ以上でも、それ以下でもなく、
任務遂行に不要な情報など、かえって障害になるだけだ。

荷物を届ける時間まで、まだしばらくある。
もう二度と来ることがないであろう街なので、
せっかくだから少しだけぶらついてみる。
もちろん、観光客気分など微塵も持ち合わせていないが、
任務を前にして、どこかの小さなバーで
アルコールを相手に暖を取るよりは、いくらかマシだ。
ほろ酔い加減で仕事をするほど、私は落ちぶれてはいない。
厳冬の街を逍遥することで、脳味噌を引き締めることができれば、
それは仕事にいい結果を生みこそすれ、悪い展開を
呼び込むことにはならないはずだ。

街をぶらつく、とはいっても、この時間からでは
いわゆる観光名所の類に足を運ぶには遅い。
コルフ男爵のコレクションを集めた郷土史博物館、
岬の上に立つムラビヨフ・アムールスキ伯爵の像、
そんな所は、明日、飛行機の時間までに
余裕があったら行くことにでもしよう。

帝政時代の面影が残る、石造りの建築物は、
目的もなく歩いているだけの私にも、異国情緒を
感じさせてくれる。
まあ、私にとっては世界中のどこを訪れても、
自分が異邦人であるという感覚からは逃れられないのだが。
遠い昔に故郷を捨てた私にとっては、もはや
すべての土地が異国なのだ。

水面が凍結してしまっているアムール川の川岸を歩く。
夏には水浴客で溢れ返るらしいが、真冬の夜には、
そんな幻影ですら、この景色から見出すことはできなかった。

メインストリートは、思ったほどの賑やかさではない。
シベリア鉄道の駅も、人影はまばらだ。
クリスマス・イブ、ほとんどの人間は自分たちの家の、
暖かい暖炉の前でささやかな宴をひらいているのだろう。

* * * * * * * * * * * * * * *


そろそろ約束の時間が近づいてきた。
私は、アムール川を見下ろす小高い丘へと足を向ける。

そこはかなりの広さがある場所だったが、
事前に受け渡し場所の位置を頭に叩き込んであったため、
ほとんど迷わずに歩を進めることができた。









その共同墓地の一番奥深い場所に、
アリーナという少女の墓はあった。




「1897・10・22-1905・1・22」


……享年7歳ということか。
死亡した日付が1905年の1月22日。
どうやらアリーナは『血の日曜日事件』で幼い命を落としたらしい。
ペテルブルグでの市民デモを鎮圧しようと、軍隊が群集に発砲。
死傷者の数は確か3000人を超えていたはずだ。

アリーナは、おそらく父親にでも手を引かれ、
意味もわからずにデモに参加していたのだろう。
そして意味もわからずに軍の銃弾を受け、
意味もわからずに死んでいったのだろう。

そのアリーナの墓がハバロフスクにあるというのは、
もしかしたら彼女たち一家の故郷が、この街だったのかもしれない。
死んだ場所はペテルブルグだが、その遺骨は故郷に埋葬されたのか。


天国にいるアリーナが、今年のクリスマスに贈り物として
望んだものを墓前に届けること。それが私の任務だった。



彼女が望んだもの。



それは「平和」だった。

戦いによる死者が近年稀に見る数にのぼった2004年。
アリーナが雲の上から平和を欲しがったのは、
決して偶然ではないだろう。

私は、新潟からこの墓地までずっと抱えてきた、
大きな風呂敷包みを開き、贈り物を取り出した。
鳥籠の中に入っていた、1羽の白い鳩。

鳥籠を開け、鳩をアリーナの墓の前から、
夜空へと解き放った。
白い鳩は、真っ直ぐに、闇へと舞い上がっていく。


世界はまだ争いに満ち溢れている。
こんな気休めのような贈り物で、アリーナが
満足するとは到底思えない。
だが、私の任務は、この〝平和の代用品〟としか
呼べないような物を届けることだったにすぎない。
贈り物の真価など、私が気にかける問題でもないのだ。
そして私は、滞りなく任務を全うした。

星の無い、暗黒の夜空を見上げると、
先ほど放した鳩が次第に小さな白い点となり、
やがて、見えなくなった。

THE END
by osarudon1 | 2004-12-25 00:00