第144話・職業=会社員



「行ってきます」

と玄関を出ると、家の前の道路が線路になっていた。

おかしいなと訝っているとどこからか汽笛の音が聞こえ、オリエント急行がやってきて目の前に停車した。
会社にたどり着けるのであれば交通手段は何でも構わないので列車に乗り込む。

コンパートメントでは死体が発見されるのだろうなと思いながらも、一介の会社員である自分には関係ないので二等車の硬い椅子に座って朝刊を広げる。
1面から終面まで全てのページが消費者金融の広告で埋め尽くされていたが、通勤時間の暇潰し程度にはエンターテインメント性のあるものだった。

4つ目のトンネルを抜けたあたりで、突然PHSがブルブルブルと震え出す。別に寒くて震えているのではなく、車内はどちらかといえばスパリゾートハワイアン。その証拠に他の乗客は全員アロハかムームーだ。
「もしもし」
「お早う御座います。パヴァロッティです。1曲歌います。ハァ~今夜のディナーは仔猫のソテー♪赤子の生き血が決め手のソース♪ドンと飲もうぜ甘い尿アッそーれ♪」
「アディオス」
静かになったPHSをパンツがぎっしり詰まったブリーフケースに放り込む。

腹が減ってきたので食堂車へ移動。
メニューを広げると、そこに書かれているのはガッシュの魔本のような読めない文字ばかり。だが、1か所だけ文字が光っており、その部分はなぜか読めた。
チャーム7800円
結局何も注文せずに席を立ち、二等車に戻る。

すると、さっきまで私が座っていた席に、大きな風呂敷包みを背負った老婆がいた。
「どいてください。そこは私の席です」
「おやおや近ごろの若いもんは年寄りに対して冷たいことだこと。どうしてそんなに酷いことが言えるのかねえ」
「どいてください。そこは私の席です」
「ここはシルバーシートだよ。あんたの席じゃなくて、あたしの席なんだよ」

老婆がシルバーシートと口にしたとたんに、二等車内が銀座になった。私が立っている場所がちょうど山野楽器の前あたりで、この先を右に曲がれば数寄屋橋方面だ。せっかくだから数寄屋橋チャンスセンターで1等・前後賞合わせて3億円のサマージャンボ宝くじでも買おうかなと一獲千金の儚い夢を抱いたところで、老婆の姿は消え、車内の風景も元に戻ってしまった。宝くじは買わなければ当たらないが買っても当たらないので無駄遣いをせずに済んだことを神様に感謝しなければ。

するといきなり前方のドアが乱暴に開き、迷彩服に身を包んだ集団がドカドカとやってきた。
「動くな。この列車はたった今、我々インフェルシア解放戦線が制圧した」
よく見ると迷彩服の連中は皆、ライトセーバーを手にしている。
「我々の要求は3つある。1つ、サラリーマンの所得税を下げろ!2つ、社員食
堂のカレーの肉を増やせ!3つ、深夜のタクシー帰宅を必要経費として認めろ!」
「承知した!」
そう叫んだのは尻尾の長い悪魔だった。
「3つの願い、叶えてやろう!」
こうしてインフェルシア解放戦線の連中は魂と引き換えに要求がすべて受け入れられたのだった。

やがてオリエント急行は、ガタンという振動とともに急停車。どうやらオーバーランすることもなく目的の駅に到着したようだ。

ドアを開けて列車を降りると、目の前には我が家の玄関があった。
今日の仕事もハードといえばハード、ゆるいといえばゆるかった。まあ、いつものことだ。
結局、会社にはいかなかったけれど。

私はドアを開け、誰もいない家の中に向かってつぶやいた。

「ただいま」
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by osarudon1 | 2005-06-22 17:06