第167話・乱調清香島事件 探偵編(再録シリーズ・8)

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……気が付くと、私はホテルロビーのソファに寝かされていた。
どうやら彼女の惨たらしい亡き骸を目にした後、気を失っていたらしい。

「お目覚めかな?」

聞いたことがない声だ。
私は、ソファから体を起こし、声がした方へ視線を向けた。
そこには、深紅のタキシードに身を固めた中年の男が立っていた。

「愛する彼女のあんな姿を見たのだから、気を失うのも無理はない」

「あなたは、誰ですか?」

「僕はこの事件に幕を引くためにやってきた探偵だよ」

「探偵? それより先に警察へ通報するべきだ!」

「死体の様子を見たのだろう? あれが警察の手に負える殺人だと思うかい?
僕はミステリーの神から神託を受けてここに来たのだ」

いきなり妙な男の登場だ。
しかし、こんな現実離れした状況も、なぜかこの島、このホテルの内部に
いる限りでは、ほとんど違和感がない。

「で、探偵さんとやら。あなたは何をしようというのです?」

「言っただろう。事件に幕を引くと。さあ、さっそく始めようじゃないか」

「私はどうすれば……」

「決まっている。君は僕のワトソン役だ。まずはもう一度、現場へ」

島に来てまだそれほど時間が経っていないというのに、彼女は無残にも
殺され、変な探偵が現れて、私はワトソンになっている。
何をやっているのだろう、私は。
この異常な展開は、私の人生でどんな意味を成しているのだろう?

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2階の客室。
私がこのホテルに着くや否や、彼女に案内された部屋。
今は、彼女の惨殺死体がベッドに横たわっている。

「これはまた、興味深い死体だね」
探偵は彼女に近付いた。

「顔面の肉がほとんど、こそぎ落とされたようだ。ふむ、
EAT ME!か。どんなに空腹でも僕は御免だね」

「こんな状況で、恋人だった私を前にして、よくそんな冗談が
言えますね」

「彼女の顔面は実際に食べられたのだろうか?」
私の抗議も彼には全く届いていないようだ。

「誰が食べるっていうんですか!」

「そう。誰も食べやしない。EAT MEなどというメッセージは、
犯人の悪ふざけさ」

「悪ふざけ? 何を根拠にそんな」

「この現場を見ての直感だよ。僕はあらゆる謎を直感で解決する。
論理的に解答を導き出すなんて、殺人は数学パズルじゃないんだからね」

「それでよく探偵が務まりますね」

「それこそが真の名探偵さ。さて、肉が食べられたのでなければ、
いったいどうしてこうなったのか? これは刃物で削がれたのではないな。
骨にほとんど傷が付いていないし、だいたいここまで顔の肉を削ぐとなると、
それなりの時間を要する。そんな時間は無かったはずだ」

「食べられたのではない。刃物で削がれたのでもない。では、どうやったって
言うんですか?」

「僕の直感では、これは薬物によるものだね」

「薬物?」

「そう。中国に『肉塊落』という液状の薬がある」

「聞いたこともないですよ、そんな薬」

「君は聞いたことがないかもしれない。世界中のほとんどの人も聞いたことが
ないかもしれない。だが、だからそんな薬は存在しないという証明にはならない
だろう。『肉塊落』は、骨付き肉に振り掛けると、肉が骨から分離しやすく
なるという薬だ。私の言うことが信用できないなら、彼に聞いてみればいい」

「彼?」

「このホテルに宿泊している老夫婦の旦那の方だ。彼は北京大学の教授で、
その世界では有名な薬学の権威だよ」

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私と探偵は、ロビーに老夫婦を呼び出し、話を聞くことができた。
確かに男性の方は探偵が言った通りの人物で、中国では政府からも
VIP待遇を受けているほどの大物だそうだ。
『肉塊落』については、その中国人の教授も存在をある程度認めた。
薬学の世界で正式に認知されている薬ではないが、中国では昔から、
そういう効果を持つ薬品が牧畜の死骸処理等に使われている、との
ことだった。

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「そういえば、もう1組、宿泊客がいたはずです。女子大生風の
2人組が。探偵さん、彼女たちにも話は聞かなくていいのですか?」

「女子大生の2人組ね……。いや、話を聞くつもりはない」

「なぜ?」

「なぜかって? ふふん、このホテルの宿泊客は、あの中国人の
老夫婦だけだよ。女子大生なんていない」

「いない、って、いましたよ。部屋に案内されるとき、2階の廊下で
すれ違って会釈したんです。オーナー一家の人たちではないし、客室
フロアだったから宿泊客に違いないと思ったのですが」

「なるほど。しかし、女子大生の宿泊客がいないのは間違いない。
それはフロントで既に確認済みだよ」

「では、あの2人組は?」

「僕の直感では、変装だね」

「変装……誰の?」

「まあ単純に考えて、その年恰好の人物といえば、殺された君の彼女と、
その兄弟姉妹しかいないだろうね。長兄はもう少し年齢が上のようだから、
彼女の双子の妹と、彼女の弟だろう」

「ちょ、ちょっと待ってください。双子の妹って?」

「うん、双子。二卵性双生児。食堂で君も会ったんじゃないのか?」

「弟というのは」

「それも会っただろ? 女子大生2人のうち、1人は君の彼女の双子の妹、
もう1人は彼女の弟が女装していたのさ」

「女装って……なんでまた、そんなことを? 理由がわからない」

「理由か。その理由も含めて、今回起こったことのすべての理由は、
おそらくただ1つに集約される。そしてそれが事件の真相だ」

事件の真相。今はまったくわからない。
犯人が誰かというだけでなく、何かもっと異常な論理が私を取り巻いて
いるような気がしてならないのだが。

「さて、もう1つ解き明かさなければならないことがある。事件が起きる
直前、君は2階の部屋から5階の食堂へ1基しかないエレベーターで
上がっている。ほぼ同時に彼女は5階から君を迎えに2階へと向かった。
結果、すれ違ったことになるが、エレベーターには君と執事が乗っていた
のだから、彼女はそのエレベーターを使用していない。さあ、どうだい?」

「だから、彼女はきっと階段を使って2階へ降りたのだと思います」

「彼女は階段など降りていない」

「なぜ? またお得意の直感ですか?」

「彼女の死体は鍵がかかった君の部屋の中にあった。彼女は階段で2階へ
降りたとしても、君の部屋には入れなかったはずだ」

「私が鍵をかけ忘れていたかもしれませんよ」

「鍵はかかっていたのだろう? そしてその鍵は君のポケットの中にあった。
実は既に確認済みなのだが、執事は君が部屋を出るときにドアに鍵をかける
ところをしっかりと目撃しているそうだ。ついでにいえば、君が持っていた
鍵のほかには、フロントに合鍵があるだけで、それは全く持ち出されていない。
当然、彼女も持っていなかった。だから彼女は階段で2階へ降りても、鍵を
開けて君の部屋に入れたはずがない」

「でも彼女は私の部屋の中で死んでいた」

「他の方法を使って、5階から2階へ降りたのさ」

「階段でもエレベーターでもなく、ですか?」

「そう。ただし、エレベーターというのは間違いとはいえない」

「どういうことでしょう?」

「5階の彼女の部屋には、隠し通路ともいうべきルートがあったのだろう」

「抜け穴?」

「正確には、隠し通路の中に部屋があったというところかな」

「理解できません」

「部屋全体がエレベーターだったんだよ。彼女の死体が発見された部屋は、
君が案内されて入った部屋じゃない。5階の彼女自身の部屋さ。造りが
全く同じだったので気づかなかったのだろう。つまり、彼女は食堂を出て、
5階の自分の部屋に入り、どこかのスイッチを操作して部屋ごと2階に
降りたのだ。もしくは、スイッチを押したのは犯人という可能性もあるが。
5階の部屋だけが移動するということは、下の階の部屋のことを考えれば
ありえない。1階から5階までが1つながりになって動くのだろう。だから、
君の部屋はそのとき、地下2階にあたる位置に移動していたことになるね」

……。
……。とんでもない話だ。

「そういう仕掛けがあったにしてもですよ、彼女の行動に何の意味が?
だって、私を迎えに行こうとしていたんでしょう? 私の部屋が地下2階に
動いてしまっていたのでは、彼女が2階に降りても無意味じゃないですか」

「迎えに行く、という理由においては無意味かもしれない。しかし、
さっきの女子大生変装と同様、全く違うところに意味は存在するのだ。
ひとつひとつの些細な行動の意味ではない。この事件そのものの大きな
意味がね。さあ、かなり真相に肉薄してきたようだ」

「もう、たくさんです。早くこんな異常な状況から抜け出したい」

「もうすぐ、すべてが明らかになる。さて名探偵の僕としては、
愛すべきワトソン役の君に1つ尋ねたい。君は、何か気付いているだろう?」

「私が?」

「とっくに気付いていることがあるはずだ。しかし、君はまだ、それを
口にしていない。ワトソンたる者、気づいたことはすべてつまびらかに
しなくてはいけないんじゃないのかい?」

「何も気付いたことなんてありませんよ」

「そうかい? 君が言わないのなら僕が言おうか?」

「どうぞ」

「君は既にある疑念を抱いている。この事件は、『見立て』なんじゃないか、
とね」

「……」

「でも、それがあまりに馬鹿馬鹿しく、どんな意味を成すのか、まるで
わかっていない。意味が無いとしか思えない。だから口に出さない」

「確かに、このホテルに着いた瞬間から、いばら姫や、アリスや、
マザーグースの影がちらついていましたけどね」

「いばら姫の見立てか。ふん、ルイス・キャロルもマザー・グースも、
それは雰囲気をそれらしく盛り上げるための小道具だろう。君が
感じている見立ては、そんなものじゃないんだろう?」

「……違います、確かに。でも、探偵さんが言うとおり、そんな見立てを
する意味、必要性、動機、その効果、そんなものが皆目わかりません」

「君はわからなくても、わかる人間だっているかもしれないじゃないか。
君はその判断を秘めておくつもりかい?」

「こんなものが真相に関係あるはずがない!」

「関係あるのだ、馬鹿者! さあ、言いたまえ! 何の見立てだ?!」

私は、しばらく黙っていた。
しかし、この馬鹿馬鹿しい限りの見立ての意味を、この狂った探偵なら
明らかにしてくれるかもしれない、と思い始めていた。

「さあ、この事件の見立てとは?」

私は口を開いた。

「………十戒です」

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乱調清香島事件 真相編に続く
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by osarudon1 | 2005-09-09 19:53